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時流に乗るな、多数派に巻き込まれたら脱皮して必ず少数派になれ      村野藤吾
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天王寺 茶臼山
大阪市に住んでいながら、市内の最北部にいるので、梅田から南に行くことは少ない。
天王寺はほぼ行かないが、1年間天王寺予備校に通っていたので、少しは知識がある。

ここには、動物園があり、結構古い土地がそのまま残っている。
特に、茶臼山は古代より古墳となっており守られてきたようだ。
恥ずかしながら、ここにも初めて訪れたのである。

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古い写真にも今と変わらない風景が残されている。
きっとこの頃は、周辺も緑の多い土地柄だったのだろう。

明治時代までは大阪市は南区までで天王寺はまだ天王寺村と呼ばれ田園風景広がる場所だった。

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この赤い丸が茶臼山なので大阪市の外れであることが分かります。(明治41年の地図です)

現在もほとんど変わらない風景ですね!
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その茶臼山に登ってみましたが、すぐに頂上です!!
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ほんま!思った以上に何もありません!!

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しかし、大阪市でも南の方は緑や自然が残されていて気持ちいいですね!!
憩いの場所があることは素晴らしいことだと思います!!

この池、カワセミがいました。
近くで撮影している人に聞くと3羽いるらしい!!
こんなに茶色い水なのに、やはり巣を作る土の斜面があるからかな~~??
by eos1d3 | 2016-10-14 19:45 | 徒然に | Comments(0)
大阪市立美術館
市内にありながら初めて天王寺にある大阪市立美術館に行ってきた。
大阪市立美術館は1936年(昭和11年)に建てられた立派なプリウォー建築である。
市内ではここのところ多くのプリウォー建築が取り壊されているが、ここはまだ大丈夫そうだ。

この頃の大阪は大大阪(だいおおさか)と言われ、東洋のマンチェスタと呼ばれるほどの
賑わいだったらしい。そんな大阪の戦前の建築物はどれもお金がかけられており重厚だ。
80年建ってもまだまだ健在なのは、十分な資金があったからだろう。
RCの耐久年が60年と言われているが、これを越えても尚そこに建っている。
現在のモノは40年くらいでかなりの劣化なのでやはり時代が違うと品質も違うのだろう。

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80年前の写真と比べるとそのディテールは維持している。
周辺はあべのハルカスが建ち、天王寺駅も進化しているが、この美術館のある
茶臼山周辺は時間が止まったままのようだ。


さて、ここに行ったのには意味があった。
息子の絵が大阪市の中学生の絵の中に一緒に展示されているというのである。

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中に入ると、たくさんの中学生の作品が展示されている。
息子のは????
あった、あった!!
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なんじゃ~こりゃ~~~!!
「自分らしく」と書いてるだけで他の作品と比べて完全に手ぇ~抜いてるやん!!

聞いてみると、今年の目標を漫画で描くらしいけど隣の子も下の子もみんなうまい!!
息子は「自分らしく」とだけ書いてるだけ!!何か裏の力が働いて選ばれたのか??

まぁ、選ばれたからええとしよう!!

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外に出ると通天閣が見えた。
通天閣はミナミの象徴!しかしプリウォーではなく戦後である。
1956年で今年還暦であった。

ちなみに大阪市立美術館も通天閣も国の登録有形文化財である。
by eos1d3 | 2016-10-13 19:30 | 徒然に | Comments(0)
龍谷大学 大宮学舎
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本願寺の敷地内に龍谷大学の大宮学舎があります。
龍谷大学は元々1639年に西本願寺境内に開設した教育施設ですのでここが発祥の場になります。
中央に見える本館をはじめ、正門、守衛所、北黌、南黌が国の重要文化財に指定されています。

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この日は日曜日で大学は休みだったために建物の中には入れませんでしたが、
一部敷地内には入って撮影可能でした。

石張り建築のように見えますが実際は木造で石は意匠でございます。
中の木製の柱はイオニア式オーダーを連想させるような重厚な佇まいのようです。
建築学科出身の私にはよだれが出そうな文化財です!

実際に現役で文学部の学生が使っているので、
元々の目的のまま100年を超えてなおその天命を全うしているこの建物もまた幸せだろうと思った。
by eos1d3 | 2016-09-06 18:27 | 徒然に | Comments(0)
綿業会館の中
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昨日初めて綿業会館の中に入ったわけですが、そうゆっくりとは見ることができなかった。
それでも、休憩時間に1階のロビーを歩いてみると、壁は品質のよい大理石が埋められていて
しかもこの時代特有の曲線(アール)が多く用いられているのである。

綿業会館の施設説明には、

「綿業会館は昭和6年(1931年)12月、日本綿業倶楽部の建物として竣工し、
翌年1月1日に開館しました。 設計は渡辺節氏が担当し、ヘッドドラフトマンには
村野藤吾氏が参画しました。」

渡辺氏は中ノ島の旧ダイビルも設計されていて私の大好きな建築家であります。
そして村野氏も先日村野藤吾展に行ったほどに好きな建築家であります。

こんな贅沢且つ実用性に富んだ大阪の建築の傑作。
大事に大事に使って欲しい。
最近のRCのマンションの耐用年数は30年程というが、私が大学で習ったRCの耐用年数は
60~80年であった。それが現在の科学を使ってしてなぜ30年なのだろうか??

現実的にこの綿業会館は85年経ってなお威風堂々とこの場に建っている。
私の習ったRCの耐用年数を超えても健在だ。

やはり、ものづくりに対する情熱と丁寧さであろうか。
85年前にはポンプ車もなく、コンクリートを打つにしても滑車のようなもので上に上げていたと思う。
クレーンも今のような十分なものではなかっただろう。それでも、この超高級なRCというものを
「なんとしてでも後世に残る良い物を作ろう」という職人の心意気が細部まで染み渡り、今に至っていると
感じるのであります。RCが30年で寿命なんて、笑わすな!と先人たちが言っているのが聞こえるかの
ような綿業会館の存在感をただただ感じるのであった。
by eos1d3 | 2016-03-06 19:12 | 徒然に | Comments(0)
第一回 建築都市逍遥講座
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今日は母校の主催する上記講座に行ってきました。
数週間前にメールが来て、何に惹かれたかというと、
内容よりは綿業会館で開催されるので歴史的建築物の
中に入れるという喜びでした。

綿業会館は大大阪時代の中枢となる建築物で現存する渡邊建築の
数少ない生き残りでもあります。

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軒にある凝ったテラコッタはこの時代の特徴である。
中に入ると、旧舘は総大理石のような壁の仕上げでまさに重厚でありました。

さて、公演の先生は橋爪大三郎先生と堺屋太一先生でありました。


橋爪先生の専門は社会学で、「人間はなにを造ってきたか」との題目で、社会学からの
建築を1時間でまとめてうまく話してくれました。
特に、大陸にない島国である日本の古代からの社会保障の考え方の違いにより、
都市国家が興りえなかったという内容が実に的を得ていて興味深かったです。

堺屋先生は大阪のご出身で自ら完了として大阪万博に携わった経験から、
大大阪と呼ばれた1930年代と万博時代の1970年の大阪の賑わいを例に挙げて
大阪の将来建築と都市との賑わいという題目の話をされました。


また、講座の冒頭では大阪工業大学学長の西村先生が挨拶されました。
実は西村先生は私の担当先生で、授業も何十回と受けておりますので、
久々にあの訛りを聞いて大学時代を思い出したのでありました。


第2回からは2017年梅田に開設される大阪工業大学梅田キャンパスで行われるとのことでした!
機会があれば。また行きたいと思います。
by eos1d3 | 2016-03-05 19:19 | 徒然に | Comments(0)
生國魂神社
2月11日は初代天皇である神武天皇が奈良橿原の地で即位した(2600年以上前)記念すべき日で
建国記念の日と言われている。そこで、神武天皇にゆかりがあり大阪のど真ん中の神社である
生國魂神社に行って来ました。

昨日の地図を使うと、神武天皇の頃は生國魂神社の西側にはすぐすぐそこまで海が迫り、
東側が河内湖と呼ばれている、半分海水で半分が淡水の湖があったといわれています。
そして、そのどちらにも沈まなかったのが上町台地であります。

その印象的な場所である岬の先、「元々」と書いているところに最初は建造されたようです。
しかし、その場所に大阪城を作るということで時の権力者豊臣秀吉が今の地に移転したのであった。

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おそらく元々の場所、そう上町台地の岬からは、千里山が海越しに見えたはずです。
それが証拠に、阪急豊津駅近くでは、掘削すれば貝塚が見つかったりします。
豊津辺りは昔の海岸線であったに違いなく、多くの縄文人が住んでいたといわれています。

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やはり神武天皇に関係しているので菊紋がそこらかしこにあります。

生國魂神社には関西の落語文化の発祥の地なのかたくさんの碑がありました。
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小文枝は今の文枝である元々の桂三枝の師匠であります。

中には、たくさんの神社があり、鳥居が並んでいます。
ここにいけばあらゆる神様が並んでおられます。
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このように休日でも誰も座っていないベンチで神々に囲まれてゆっくり休憩してみてはいかがでしょうか?
by eos1d3 | 2016-02-12 19:18 | RICOH GR | Comments(0)
大江神社
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今日は建国記念日で最高の天気に恵まれて、大阪に住みながらも行ったことのなかった、
生國魂神社界隈の上町台地の部分を歩いてきました。

松屋町筋からこっち側を見ると丘になっており古(いにしえ)の雰囲気が漂っています。
ちょうどこの辺りは、上町台地の崖の部分です。

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オレンジいろの部分が元々の大阪の土地で、緑や青は太古の昔は海や湖と考えられています。
大阪城を北の端として上町台地と呼ばれる大きな丘は、その昔は岬のように見えたことでしょう。

大江神社は下側(西側)からみると階段があります。
この分の段差がちょうど台地の高低差になります。大阪市のど真ん中でこんな山のような
部分があるなんて面白いですね。

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明治18年の地図はわが国最初の陸軍が作成した現代地図です。
江戸時代もほぼこのままだったと思います。
この辺りは、お寺が多く、お墓も多いですが、ようするに江戸時代のナニワの街の
外れがちょうどこの辺りで、ここより先は、村が広がり、田や畑ばかりだったんでしょうね。
by eos1d3 | 2016-02-11 20:40 | 徒然に | Comments(0)
木が挟まってる
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先日行った高射砲台ですが、頭上を見上げると床の下側に木材が挟まったままである。
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建築の施工管理をやっていたので工事の作業手順は知っている。
RCではまず何もないところに墨だしと言って壁の場所になるところに線を引く、
その中に鉄筋を組んでから型枠で蓋をしてコンクリートを流し込む。
そのときに、床も同時に型枠で組んでチャプチャプになるまでコンクリートを打つと
1階の壁と2階の床が一気に打てる。

ようするに平屋のRCであれば1回のコンクリート打設で済むわけである。
この写真のようにコンクリートをばらした後に木が見えていると言うことは
最初から床スラブの型枠と鉄筋の間にこの木片が見えていたはずだ。

いくら戦時中と言っても貴重なRCのコンクリートをこんないい加減に作るわけがない。
いったいこの木片にはどんな意味があるのか??
きっとこの場で、私だけがこんなことを考えていたんだろうなと思う。
by eos1d3 | 2015-12-18 19:16 | 徒然に | Comments(0)
軍事工場跡
昨日に続きその2です。

次に行ったのが延原倉庫です

現在は倉庫業として大阪市内に何箇所かありますが、戦前は避雷機器等を作る製作所だったそうです。
軍事色が強まってきた昭和17年に石炭を液化して石油を作る機械を作ってたそうです。
そこななんと奥行き280mの長い工場。
正面のシャッターが開いて中が見えたときの驚きは表現できません。

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正直言ってこんな凄いのが家から直ぐ近くにあるとは思ってもいなかったです。
直線で280mといったら凄い距離です。そんな長くさらに両横の規則正しいRCの柱な整列を
見ていたらこれまでにない感動が襲ってきました。
日本の表情の無い無骨なコンクリートの柱の並びがギリシャの神殿のように見えました。

今は壁のところがブロックですが軍事工場のときはガラスだったそうです。

外に出ると、柱のところにはバットレスがありました。
結構なモーメントがかかったのでしょう。絶対に潰してはならない重要な工場だったんでしょうね。
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そして圧巻なのはその直ぐ横には対称となる木造の工場もありました。
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中にある鋼製のクレーンもリベット接合の当時物でしょうか?
両方の工場が今では倉庫として現役で使われていることが素晴らしいです。

こう言った、戦前の重要な建物の多くが民間企業の所有物になっています。
近年になって老朽化や相続、営利の問題で維持できなくなり次々と壊されています。
やはり、全部とはいえませんが大事なものは税金をつかってでも補助していかなければ
ならないと考えます。我々日本人がどういった道を通って繁栄し今の豊かな国になったのか
それらの建築物はそのまさに生き証人です。

今まさに、心斎橋の大丸が今月いっぱいでその建築物を無いものにしようとしています。
ヴォーリーズ設計の欠け替えのない大阪の財産がまた一つ無くなろうとしています。
私たちは、それをただ残念に思いながら見送るだけしか出来ません。
しかし、真実は一つ。
なくなったものはもう二度と元には戻りません。
建物はもちろん、それを作った当時の人々の心意気まで失っては絶対にいけないとそう思います。
by eos1d3 | 2015-12-13 16:41 | 徒然に | Comments(0)
高射砲台
ずっとずっと前に高射砲台の記事を書いたことがある

太平戦争中に作られてこの上からB29を打ち落とそうと考えていたらしい。
詳しくはここに載っています。


なかなか見つからなかったのは、完全に残っている一基は鉄筋工場として今も使われているからであった。
近くまで行ってもなかなか見つからないと思います。
残りの一基は既に立退きが終わり解体を待つだけになっている。

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元々壁があったそうですが壊したそうです。
その部分から鉄筋が見えておりますが、当時は丸鋼(リブが付いていない鉄筋)だったので
雰囲気はあります。
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この周辺は戦時中は畑の真ん中だったようだ。
今このあたりは阪急電車の高架化の工事が行われており目まぐるしく変わっている。
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しかし、家から少ししか離れていないこんなところにも戦争の遺跡があるなんて不思議な気持ちだ。
RCの耐久性からしてももうそんなにもたない気がする。それもまた良いのかもしれない。
by eos1d3 | 2015-12-12 20:02 | 徒然に | Comments(0)