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時流に乗るな、多数派に巻き込まれたら脱皮して必ず少数派になれ      村野藤吾
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なくなり往く橋  増島橋
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私の住む街には昔は多くの橋があった。
と言うのも今でこそ住宅地が開け田んぼはもう見ることが出来ないが、
昭和30年代(50年前くらい)には、一面が田園風景で何キロも離れた
隣の村々が見えたというのだからビックリする。

田んぼがあると言う事はそこに水をひく水路が必要で結局、橋が多くなるのである。

上の写真は東淀川区の菅原という場所であるが、ここも50年前まではたくさんの田んぼがあった。
そしてその水路だったところにかかっていた増島橋がその役目を終えても片方だけが残されている。
もちろんここに川が流れていたのは知らないが、昔の地図を見れば想像がつく。

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記録によると昭和10年6月に出来た橋らしい。
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もう風化破壊が激しく、おかげで構造が見えるがRC造のようである。
鉄筋は異形鉄筋ではなくコンクリートとの付着強度の少ない丸鋼鉄筋である。
しかしエラスタイト(コンクリートの伸縮による割れ防止材)が入っており、
実際に昭和10年にエラスタイトがあったのか?と不思議に思ったのである。
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さて、この下に川がない橋であるが、車や人の通行に支障がないと言うことでずっと残されて
きたのであるが、すでに計画道路がすぐそこまで出来上がっており80年の生涯に終止符を
打とうとしているのであります。
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写真は現在の航空写真で赤い線は元に川が流れていた跡(今は埋められて道になっています)
青い二重丸が橋の位置、その右にあるグレーの線は大阪府道で既に何十年も前に開通、
今回はその道と橋の左側にある新しい道(白い線)が開通する最終段階に入るのである。
実際は全てが開通するにはまだまだ時間がかかるであろうが、この橋の遺構はいつ解体されても
おかしくない状況におかれてゆくのは確かで、今回、撮影して残しておこうと思ったのである。


この地図は1926年(昭和2年)のものである。
橋の名前の由来の通り増島という大きな町が西にあり小増島が東にある。
昭和初期には亀岡街道があり橋が架かっているのがわかる。
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現在の航空地図と川の流れが違うのは戦後すぐの1948年(昭和23年)の航空写真を見ればわかる。
昭和4年に開通した片町線貨物支線の線路を敷くために川の流れを変えたのではないかと思う。
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さらにさかのぼる事62年、明治18年の地図はもっと素朴である。
江戸時代とほぼ変わらないこの地図では亀岡街道はもっと東にあり今の橋の位置には(青い二重丸)
道がないので当然橋もなかった。線路として見えているものは明治初頭に開通した官営鉄道である。
官営鉄道はその進路を北側に替えたのでこの線路は廃線となりそれを民間鉄道が引き継いだものが
今の阪急北千里線である。
官営鉄道の下を通り、中島大水道としてこのまま永遠9kmも流れて言ったのである。

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しかし、この明治時代のこの場所になんとか行けないものだろうか?
地図から見て、明治18年にこの橋の位置に立てば、西に字増島が見えてそれこそキレイな川が
流れていたと思う。四方を田んぼが囲み日本の原風景だったに違いない。

片方しか残っていない増島橋の遺構は私に留まる事がない想像を擁かせてくれる。
それももうあとどれだけの時間の猶予があるだろうか?
ここに大きな便利で新しい道が開通したとき、同時に江戸時代からずっと続いた、ここに
川が流れ、人々が暮らした証拠が一つ無くなってしまい瞬間でありそれは永遠に戻ることは無のだから。
by eos1d3 | 2013-06-10 07:00 | 徒然に | Comments(4)
Commented by MARTIN愛好家 at 2013-06-11 00:50 x
先日はナット幅あり、あとうございました。

北千里線によく乗ったので町並みがよくわかります。

こういった、例えば、
昭和20年前後の、航空写真、地図、とか
明治、江戸時代の、地図は、どこで手に入るのですか?
Commented by ゼク at 2013-06-11 09:39 x
MARTIN愛好家さんこの航空写真は6/7日のBLOGに書いている国土地理院の
サイトから取っています。参考にしてみてください。
なお、国土地理院から郵送で古い地図を買うことも可能です。
それと大阪中央図書館でも閲覧・コピー可能です。
Commented by MARTIN愛好家 at 2013-06-11 21:15 x
地図、御教授ありがとうございます!m(_ _)m
Commented by ゼク at 2013-06-11 22:34 x
MARTIN愛好家さん、よろしくお願いします!
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