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軍歴証明
2014年 12月 12日
今年の9月に私の両親と叔父さん、叔母さんが祖父の軍人時代の記憶を辿って
佐世保に行きました。両親の言うには祖父は戦艦榛名に乗っていったというのだった。 そこで佐世保に行くと榛名の乗員名簿があるらしく、それを確かめに行った。 しかし残念ながらそこには祖父の名前はなかった。 そこで私は父に「じいちゃん、ほんまに榛名に乗ってん?」と聞くと 父は、「家に戦艦榛名の写真が飾ってあったし、本人からもそう聞いた」というのである。 そこで、このBLOGに書くと、ある方が「軍歴証明」なるものを取ればわかると教えてくれた。 祖父は帝国海軍だったので厚生労働省が保管しているということだった。 そこで、規定の書類を送付して待つこと2ヶ月!! ようやくベールに包まれた祖父の軍人時代の全貌が明らかにされたのである! そしてこれがその軍歴証明の1枚目。 実際に2枚に渡ってカラーコピーが送られて来た。 鮮明とは言わないし、書いていることも難しいが何とか読む事が出来た。 祖父はS10.6/1に18歳で海軍に入隊し4等機関兵として始めての軍隊に生活に入った。 その後、海軍工兵学校機関術訓練生となり金剛、霧島、妙見丸に乗ったと書いてある。 戦艦霧島時代が長いので、飾ってあった写真は霧島であったに違いない。 祖父は自分が乗った戦艦の名前を間違えるわけがないので父の聞き間違いだったろう。 その後、S18.9/9に満州国旅順に向っている。 そして、元々旅順で生まれた昨年2月に亡くなった祖母と出会い結婚したようだ。 S19.4/1に結婚許可と書いてるので、当時は軍に許可されないと結婚できなかったのか?? S18.10/1には教員を命ずとある。 祖父は士官学校の学生を教えていた、みたいな事を言っていた。 士官学校なので、卒業すると少尉になり、自分よりすぐに上役になるので辛かったといっていた。 このあたりも軍歴証明にはっきりと書いてある。 最後はポツダム進級とよばれるものか、海軍機関兵曹長で軍人を終えている。 僕は少尉まで行ったと聞いていたが、実際は准尉まで行ったのか、その辺は疑問である。 ただ、少尉からは士官となるのでそうそう簡単には上がれなくて、下士官は兵曹長までがやっとだと 言う事だった。兵曹長でかなり優秀なのが、少尉が就く役職に空きがあるばあいのみ進級したみたいだと。 その後、満州から2年ほどロシアに行って、S22.4/3に博多に着いたとあり、軍歴証明はここで終わる。 あ~~、それにしても、あの混乱の中でしっかりと軍歴が付けられていたことに感心した。 そして、祖父の軍人時代の活躍を見たように思った。 何より、父や父の兄弟がこれを見ると嬉しい気持ちになるのではと思った。 祖母は産まれたての父を抱いて、命かながら満州から本土に戻ったと言っていた。 残留孤児にならなかったのは祖母の愛とその時まだ父しか子供がいなかったからだと感じた。 戦争はすでに遠い過去の話かもしれないが、あの時代を懸命に生きたからこそ 今の日本国があると確信した。 そして、戦争で亡くなった全ての人に哀悼の意を表したいと心から思った。
by eos1d3
| 2014-12-12 19:08
| 徒然に
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Comments(2)
Commented
by
某人
at 2014-12-13 02:49
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こんばんは、お役に立てたようで何よりです(^ ^)
軍歴証明もちゃんと厚労省に残っていたようで良かったです。 金剛(1番艦)も、榛名(3番艦)も、霧島(4番艦)もすべて金剛型戦艦ですので、どこかで艦名がごちゃごちゃになってしまったのでしょうね。 日本海軍での機関兵曹長は特務士官の官階で、年代が経つにつれて、兵曹長→特務少尉→少尉と階級の呼称自体が変わりましたので、おそらく少尉さんで間違い無いかと思います。 ゼクさんの優秀なご祖父様でいらしたということですね。 こうやって軍歴証明で自分の親、祖父の人生の一端を知るという事は、その方の供養になるとも思いますし、この事を自分の子供や孫にも伝えていきたいと思っています。 私も今回、そのような機会に恵まれて非常に良かったです。 これからもゼクさんのブログ楽しみにしています!
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Commented
by
ゼク
at 2014-12-13 19:37
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この度は軍歴証明なるものを教えていただきありがとうございました。
祖父は最後は少尉までいったと言っていたのできっと間違いないと思います。 20年前に亡くなった祖父ですが、出来れば生きてるときにこの証明を 取って実際の話をいろいろ聞きたかったです。 3月に亡くなった祖母も実際は現役時代の祖父をあまり知らないと思うので やはり本人から聞きたかったです。残念です。 |