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時流に乗るな、多数派に巻き込まれたら脱皮して必ず少数派になれ      村野藤吾
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さらば!! 大阪工業大学 4号館 (建築学科校舎)
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母校の同窓会事務局にメールアドレスを登録しているので今回の4号館の解体の事は
知ることが出来ました。実際にここに戻ってくるのは平成6年に卒業してから24年ぶりです。
おそらく、クラブやサークルに入っていない人は大学への愛着は少ないと思いますが、
私も例外に漏れずその一人でした。

私の場合は家から自転車で15分ほどの距離で何度も近くを通っているので、
おそらく行く事がなかったんだと思います!遠くに住んでる人はきっと何度か来ているかも
しれませんね。

まず、この24年で大きく変わったのが、レンガタイルの茶色に統一している事です。
平成2年入学の私は、ちょうど6号館(一番高い建物)の建て替えのど真ん中でした。
1年の前期までが旧6号館(1階が食堂でした)、その後は大成建設が新6号館を
建てる間、なくなった食堂はキャンパスのわずかのスペースにプレハブとして建てられた
仮の食堂でした。
6号館は今でも白いタイルですが、メモリアルゲートなる物が出来た時にそれが初のレンガ
色の校舎になりました。初代校長が大阪中央公会堂の設計者ということで、そこから
大阪工大の建物は建て替わるたびにレンガ色になっているのです。

さて、真面目に大学に行っていた卒業生方は緑のスペースに何もないことに気付くでしょう!
そうです、ここにはかつて3号館と呼ばれて応用化学学科があったのでした。
比較的大教室が多かった3号館は一般教養の授業がたくさん開講していました。
その3号館も既にありませんし、レンガ色の新しい校舎になる前にそこにあった、
2号館(旧短大)も1号館もすでにありません。

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4号館は建築学科と土木学科の共同の校舎でした。正面から見て右側が建築学科です。
懐かしいですね~~。工大の建築学科の卒業生は見ればわかるでしょう!!
ほんと今見ても、建築学科の校舎の割にな~~んも面白くない設計です。

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ちなみに古い卒業生は知っていると思いますが、校舎の前のこの敷石は、大阪市電の
敷石を移設したモノであります。工大の真ん前にある阪神高速守口線が出来る前は、
その場所に川が流れて、さらに地下鉄谷町線が出来る前は市電が走っていたのです。

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4号館は完璧な中ローカの意匠です。なので、蛍光灯が常に点いていました。
階段は少しでも採光を取り入れようとしたのか、吹き抜けになっています。
今、思い出しました。そういえば階段は吹き抜けでした。

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5階には設計教室があります。かつては製図版が全員分並んでおり、そこに学生が
座ってT定規と三角定規で設計図面を書いていました。今は何も置かれておりません。
ここで仲間と製図を書いたりエスキースをチェックしてもらったり、
設計課題を提出したものこの教室でした。

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完全に忘れていましたが、6階には大教室が2つありました。
463とか462と呼ばれてます。ここで、竹内先生の授業を大勢の建築学科の学生と
聴いた記憶があります。

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同じく6階には絵画演習でヌードを書いた、決して忘れることが出来ない教室がありました。
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きっと、この中に私が書いた石膏モデルがあると思います!

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この場所に着いて24年前の記憶が蘇りました。
そうです、この壁にヌードのモデルが立って、学生が扇形に取り囲んでデッサンしました。
みなさん、思い出してください!!

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最後に1階の材料学に教室と実験室があって、今回中には入れませんでしたが、
外に繋がっていて、粗骨材、細骨材、セメントがきっとこの中にあったと思います。
水中養生したコンクリートのテストピースを週ごとに圧縮破断させて強度のチェックを
しました。私は材料学の方に行きたかったのですが、ミスってしまいました。



私がいた平成2年から平成6年はバブルからバブル崩壊と凄い時代でした。
入った時には景気のいい話がありましたが、卒業してからはずっと今まで建築不況です。

教わった先生は、
計画系
 光崎先生、篠塚先生、増田先生、
構造系
 大場先生、西村先生(現学長)、鈴木先生、堀家先生、竹内先生、福島先生
材料系
 松原先生、二村先生

今はこれくらいしか思い出せません。
特に福島先生は私達が最後の教え子で、最後の授業を受けました。

結局私は、卒業後大手ゼネコンに入りましたが、ギブアップして地元の小さな
建築会社に入りなおし、5年間ほど勤めた後に、家業を手伝って今に至ります。
ずっと、ゼネコンにいたらどうなっているだろうか?他の設計士になっていたら
どうなっていただろうか?時間が戻せるならば、平成2年に戻ってもう一回
やってみたいようにも思えます。

そう考えると、ここは建築を学んだ原点なのかもしれません。
建築は今でも大好きで、建築を学んで良かったと思っています。
そんな、私の原点の最後の姿を残せて良かったと思いました。
by eos1d3 | 2018-03-03 18:54 | 徒然に | Comments(0)
大阪 空堀 LEN ~錬~
大阪は谷町筋と松屋町筋の間にある空堀のLEN(錬)という複合施設に行ってきました。

大阪であればTV番組でたびたび放送されているので見た人も行った人もいるかもしれません。

元々1811年に建てられた蔵を中心に大正時代に建てられた母屋等、100~200年前の
個人住宅でありました。戦争色が濃くなり、家人が疎開してからは空き家となり、
その後戦後は昭和40年頃まで肛門科の病院に使われていたそうです。

今は、いろんなお店が集まったおしゃれな古民家という事です。

特に、1811年に建てられた蔵の部分は有名なチョコレートのお店である、
「エクチェア」が入っており目茶苦茶混んでいました。
しかしながら他の店舗はあまり人が入っていなくてちょっと寂しい感じです。

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この母屋が建てられた大正末期では既に大阪は東洋のマンチェスター、大大阪(だいおおさか)と
呼ばれてそれはそれは凄い活気に満ちていました。周りの道には舗装されていない道はない位に
今とほぼ変わらない状況であったらしいです。元々はロウソクの蝋をつくる工場だったらしい
ですが、工場から出る煙が問題になり京セラドームの方に移転したらしいです。

旧いものが「古臭いと」疎遠され、その古さがゆえに不便であったり使いにくいと敬遠される。
今では、WiFiが飛び交い、情報も写真も全ての感情が空中を満たしている世情であるが、
そんな人たちが、100年以上前の「古臭い」建物を「おしゃれ」と括り集う。
本当の「おしゃれ」を理解するには寄り添い慈しむことを理解することだといつも思うのである。
by eos1d3 | 2018-02-26 19:06 | 徒然に | Comments(0)
大阪工業大学 4号館 取り壊し
一通のメールが届いた。
そこには、母校の大阪工業大学の建築学科の校舎だった4号館が
老朽化のために取り壊すという事であった。
1964年に建てられたと今知った。旧1号館や2号館は、戦時中に高射砲を打ったと
聞いていたのでもっと古いと思うが、20年以上の新しかったなんて・・・。

私が入学した1989年の時に既に老朽化していたけど、まだ25年しかたってなかったのか・・。
大学でRCの耐久年数は60年と習ったが、ほぼそれに等しく幕を閉じることになるそうだ。

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私が卒業したのが1994年なのでちょうど約25年で、私はこの校舎の中間時期に
いたのだと理解しました。卒業後は1度も行ってないので、特に思い入れはないし、
普通の何の意匠も凝っていない校舎だったので、保存価値もない。
ただ、18歳から22歳までを過ごしたことには間違いなく、友と学んだ記憶も多い。
壊すまでに、一度写真に納めたいものだ。
by eos1d3 | 2018-02-12 14:14 | 徒然に | Comments(2)
大阪こちずぶらり
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最近、読売新聞の夕刊を読んでいると「大阪こちずぶらり」というアプリの説明があった。

私は予てからこのBLOGで、古い地図を見ながらその地図を現在の地図と見比べて
古き良き時代の風景を思い浮かべるのが好きだと書きました。
やはり同じようなことを考える人はたくさんいるもので、こんなアプリが出ていました。

ようするに、古い地図が出てきて現在の地図とそれを重ねて現在地に示すことが出来るのです。
大きな太い道は新しい道で、本当に江戸時代からある道は細くてクネクネしているのです。
現在のグーグルマップを見ても容易にその場所を当てることが出来ます。
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こんな感じで「今昔マップ」というサイトで左右の明治時代の地図と今の地図を見比べて
クネクネしている場所が元々地元の人が住んできた場所なのです。

おそらく、ずっと遡ってなぜそこに人が住み着いたかと言えば、きっと平たくて、水が豊富にあって
何か住むことに条件が良かったからに違いありません。昔は土地がふんだんになってどこに住んでも
良かったわけですから、なぜここを選んで住んだのか?というのを古地図から探っても面白いと思います。
by eos1d3 | 2017-07-07 18:00 | 徒然に | Comments(0)
天王寺 茶臼山
大阪市に住んでいながら、市内の最北部にいるので、梅田から南に行くことは少ない。
天王寺はほぼ行かないが、1年間天王寺予備校に通っていたので、少しは知識がある。

ここには、動物園があり、結構古い土地がそのまま残っている。
特に、茶臼山は古代より古墳となっており守られてきたようだ。
恥ずかしながら、ここにも初めて訪れたのである。

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古い写真にも今と変わらない風景が残されている。
きっとこの頃は、周辺も緑の多い土地柄だったのだろう。

明治時代までは大阪市は南区までで天王寺はまだ天王寺村と呼ばれ田園風景広がる場所だった。

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この赤い丸が茶臼山なので大阪市の外れであることが分かります。(明治41年の地図です)

現在もほとんど変わらない風景ですね!
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その茶臼山に登ってみましたが、すぐに頂上です!!
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ほんま!思った以上に何もありません!!

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しかし、大阪市でも南の方は緑や自然が残されていて気持ちいいですね!!
憩いの場所があることは素晴らしいことだと思います!!

この池、カワセミがいました。
近くで撮影している人に聞くと3羽いるらしい!!
こんなに茶色い水なのに、やはり巣を作る土の斜面があるからかな~~??
by eos1d3 | 2016-10-14 19:45 | 徒然に | Comments(0)
大阪市立美術館
市内にありながら初めて天王寺にある大阪市立美術館に行ってきた。
大阪市立美術館は1936年(昭和11年)に建てられた立派なプリウォー建築である。
市内ではここのところ多くのプリウォー建築が取り壊されているが、ここはまだ大丈夫そうだ。

この頃の大阪は大大阪(だいおおさか)と言われ、東洋のマンチェスタと呼ばれるほどの
賑わいだったらしい。そんな大阪の戦前の建築物はどれもお金がかけられており重厚だ。
80年建ってもまだまだ健在なのは、十分な資金があったからだろう。
RCの耐久年が60年と言われているが、これを越えても尚そこに建っている。
現在のモノは40年くらいでかなりの劣化なのでやはり時代が違うと品質も違うのだろう。

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80年前の写真と比べるとそのディテールは維持している。
周辺はあべのハルカスが建ち、天王寺駅も進化しているが、この美術館のある
茶臼山周辺は時間が止まったままのようだ。


さて、ここに行ったのには意味があった。
息子の絵が大阪市の中学生の絵の中に一緒に展示されているというのである。

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中に入ると、たくさんの中学生の作品が展示されている。
息子のは????
あった、あった!!
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なんじゃ~こりゃ~~~!!
「自分らしく」と書いてるだけで他の作品と比べて完全に手ぇ~抜いてるやん!!

聞いてみると、今年の目標を漫画で描くらしいけど隣の子も下の子もみんなうまい!!
息子は「自分らしく」とだけ書いてるだけ!!何か裏の力が働いて選ばれたのか??

まぁ、選ばれたからええとしよう!!

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外に出ると通天閣が見えた。
通天閣はミナミの象徴!しかしプリウォーではなく戦後である。
1956年で今年還暦であった。

ちなみに大阪市立美術館も通天閣も国の登録有形文化財である。
by eos1d3 | 2016-10-13 19:30 | 徒然に | Comments(0)
龍谷大学 大宮学舎
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本願寺の敷地内に龍谷大学の大宮学舎があります。
龍谷大学は元々1639年に西本願寺境内に開設した教育施設ですのでここが発祥の場になります。
中央に見える本館をはじめ、正門、守衛所、北黌、南黌が国の重要文化財に指定されています。

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この日は日曜日で大学は休みだったために建物の中には入れませんでしたが、
一部敷地内には入って撮影可能でした。

石張り建築のように見えますが実際は木造で石は意匠でございます。
中の木製の柱はイオニア式オーダーを連想させるような重厚な佇まいのようです。
建築学科出身の私にはよだれが出そうな文化財です!

実際に現役で文学部の学生が使っているので、
元々の目的のまま100年を超えてなおその天命を全うしているこの建物もまた幸せだろうと思った。
by eos1d3 | 2016-09-06 18:27 | 徒然に | Comments(0)
綿業会館の中
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昨日初めて綿業会館の中に入ったわけですが、そうゆっくりとは見ることができなかった。
それでも、休憩時間に1階のロビーを歩いてみると、壁は品質のよい大理石が埋められていて
しかもこの時代特有の曲線(アール)が多く用いられているのである。

綿業会館の施設説明には、

「綿業会館は昭和6年(1931年)12月、日本綿業倶楽部の建物として竣工し、
翌年1月1日に開館しました。 設計は渡辺節氏が担当し、ヘッドドラフトマンには
村野藤吾氏が参画しました。」

渡辺氏は中ノ島の旧ダイビルも設計されていて私の大好きな建築家であります。
そして村野氏も先日村野藤吾展に行ったほどに好きな建築家であります。

こんな贅沢且つ実用性に富んだ大阪の建築の傑作。
大事に大事に使って欲しい。
最近のRCのマンションの耐用年数は30年程というが、私が大学で習ったRCの耐用年数は
60~80年であった。それが現在の科学を使ってしてなぜ30年なのだろうか??

現実的にこの綿業会館は85年経ってなお威風堂々とこの場に建っている。
私の習ったRCの耐用年数を超えても健在だ。

やはり、ものづくりに対する情熱と丁寧さであろうか。
85年前にはポンプ車もなく、コンクリートを打つにしても滑車のようなもので上に上げていたと思う。
クレーンも今のような十分なものではなかっただろう。それでも、この超高級なRCというものを
「なんとしてでも後世に残る良い物を作ろう」という職人の心意気が細部まで染み渡り、今に至っていると
感じるのであります。RCが30年で寿命なんて、笑わすな!と先人たちが言っているのが聞こえるかの
ような綿業会館の存在感をただただ感じるのであった。
by eos1d3 | 2016-03-06 19:12 | 徒然に | Comments(0)
第一回 建築都市逍遥講座
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今日は母校の主催する上記講座に行ってきました。
数週間前にメールが来て、何に惹かれたかというと、
内容よりは綿業会館で開催されるので歴史的建築物の
中に入れるという喜びでした。

綿業会館は大大阪時代の中枢となる建築物で現存する渡邊建築の
数少ない生き残りでもあります。

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軒にある凝ったテラコッタはこの時代の特徴である。
中に入ると、旧舘は総大理石のような壁の仕上げでまさに重厚でありました。

さて、公演の先生は橋爪大三郎先生と堺屋太一先生でありました。


橋爪先生の専門は社会学で、「人間はなにを造ってきたか」との題目で、社会学からの
建築を1時間でまとめてうまく話してくれました。
特に、大陸にない島国である日本の古代からの社会保障の考え方の違いにより、
都市国家が興りえなかったという内容が実に的を得ていて興味深かったです。

堺屋先生は大阪のご出身で自ら完了として大阪万博に携わった経験から、
大大阪と呼ばれた1930年代と万博時代の1970年の大阪の賑わいを例に挙げて
大阪の将来建築と都市との賑わいという題目の話をされました。


また、講座の冒頭では大阪工業大学学長の西村先生が挨拶されました。
実は西村先生は私の担当先生で、授業も何十回と受けておりますので、
久々にあの訛りを聞いて大学時代を思い出したのでありました。


第2回からは2017年梅田に開設される大阪工業大学梅田キャンパスで行われるとのことでした!
機会があれば。また行きたいと思います。
by eos1d3 | 2016-03-05 19:19 | 徒然に | Comments(0)
生國魂神社
2月11日は初代天皇である神武天皇が奈良橿原の地で即位した(2600年以上前)記念すべき日で
建国記念の日と言われている。そこで、神武天皇にゆかりがあり大阪のど真ん中の神社である
生國魂神社に行って来ました。

昨日の地図を使うと、神武天皇の頃は生國魂神社の西側にはすぐすぐそこまで海が迫り、
東側が河内湖と呼ばれている、半分海水で半分が淡水の湖があったといわれています。
そして、そのどちらにも沈まなかったのが上町台地であります。

その印象的な場所である岬の先、「元々」と書いているところに最初は建造されたようです。
しかし、その場所に大阪城を作るということで時の権力者豊臣秀吉が今の地に移転したのであった。

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おそらく元々の場所、そう上町台地の岬からは、千里山が海越しに見えたはずです。
それが証拠に、阪急豊津駅近くでは、掘削すれば貝塚が見つかったりします。
豊津辺りは昔の海岸線であったに違いなく、多くの縄文人が住んでいたといわれています。

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やはり神武天皇に関係しているので菊紋がそこらかしこにあります。

生國魂神社には関西の落語文化の発祥の地なのかたくさんの碑がありました。
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小文枝は今の文枝である元々の桂三枝の師匠であります。

中には、たくさんの神社があり、鳥居が並んでいます。
ここにいけばあらゆる神様が並んでおられます。
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このように休日でも誰も座っていないベンチで神々に囲まれてゆっくり休憩してみてはいかがでしょうか?
by eos1d3 | 2016-02-12 19:18 | RICOH GR | Comments(0)