無題
eos1d3.exblog.jp

時流に乗るな、多数派に巻き込まれたら脱皮して必ず少数派になれ      村野藤吾
最新のコメント
パイロンさん、ついに小学..
by ゼク at 18:10
念願の車を手に入れて楽し..
by パイロン at 14:20
こんばんは。二人歩記を歌..
by ひろみつ at 20:13
ひろみつさん、私もCap..
by ゼク at 22:32
ゼクさん、こんにちは。剛..
by ひろみつ at 15:36
wataru-wataさ..
by ゼク at 17:16
機材紹介


このBLOGは
sRGB環境
ガンマ2.2
色温度6000K
輝度80
で作成しております!





基本的にリンクフリーです。
相互リンクご希望の方は
下記よりメールで連絡を
下さい。



このBLOGはKONDO Racingを
応援しています






c0145198_230687.jpg
公社 日本写真協会会員


c0145198_22594281.jpg

一社 日本写真著作権協会会員
HJPI321100004227
お気に入りブログ
外部リンク
タグ
以前の記事
検索
記事ランキング
ブログジャンル
タグ:旧い建物 ( 84 ) タグの人気記事
今昔マップ on the web
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」は
埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室)先生が作成された実に素晴らしい
名前の通りの時系列で見れる地図でございます。

私の最高の喜びは、古い地図を今の実際の景色と重ね合わせ、今は無き嘗て存在していた
情景を思い浮かべてはノスタルジーに耽ることであるために、元々、先生の作られた
「今昔マップ2」というものは私の日々の必需品であったのであります。

しかし、先生は最近になって更にパワーアップした上記サイトを開発され、私に夢と希望を与えて
下さりました。プロフィールからみると谷先生は私と同い年かと思われます。
私のような凡人ではなく、このような有意義なサイトを作成できる素晴らしい研究者であると感服しております。

c0145198_18373959.jpg



さて、このサイト使い方は実に簡単ですぐに分かると思います。
左側の年代にチェックを入れるとデーターさえあればその時代の地図が映し出されます。
2画面を選ぶと、左が古い地図で右が現在のグーグルマップであす。
カーソルを重ねれば、その場所の古い時代の地図が同じ場所にカーソルされます。

年代を追うごとにどのようにわが町は発展してきたかが分かります。
そう言う意味でこの地図は「時系列表示」されて画期的なのだと思います。

私は、大阪図書館にて実際の明治初期時代の地図を観覧・複製し、さらには国土地理院いて
まさに時系列に明治後期、大正、昭和と地図を購入したほどの時系列地図愛好家でございます。

その地図を片手に街を歩けば、今はもうなくなった旧きよき時代の日本が見えてくるかもしれません。

ご興味がある方は、一度このサイトを観覧されてみてください!!
by eos1d3 | 2014-06-03 18:44 | 徒然に | Comments(2)
阪堺電気軌道161形電車
日曜日に行った住吉大社で生まれて初めて間近でチンチン電車を見た。
もちろん車に乗りながら見ることはあったし、天王寺予備校に通っていた25年ほど前には
確かチンチン電車が走っていたと記憶している。
それにしても道路の真ん中を電車が走るのを見るのは不思議だし、実際に家から高速で
30分とかからないところでまだ現役で走っていると知って非常に驚いた!


さて、住吉さんの鳥居の前を歩いていると新しいのやら古いのやらチンチン電車が忙しそうに走る。
私はチンチン電車に決して詳しくはないが、どうみてもプリウォーではなかと思う車両が横切り
シャッターを押さずにはいられなかった。
そうです、私は古いものが大好きなのです!特に戦前のものは建築でも何でも大好きなんですよ!

c0145198_19152865.jpg



妻と歩いていて、「これは絶対に戦前やでぇ~~」と言うと
「そりゃ古いなぁ~」と返事があった。

家に帰って調べてみると、昭和6年製造でまだ現役らしい。
80年以上も同じ場所は繰り返し繰り返し走り大阪の変貌を見て来た車両と思うと涙が溢れそうになる。

こう言った古いものをずっと大事にしたいと思うし、これからも頑張って現役を続けて欲しいと願った!
by eos1d3 | 2014-03-12 19:18 | EOS5DMarkII | Comments(0)
花嫁さん・・・
c0145198_2037592.jpg
c0145198_20372752.jpg
c0145198_2037516.jpg
c0145198_203882.jpg
c0145198_20382991.jpg
c0145198_20384252.jpg





実は住吉大社で花嫁さんを見ました。
しかしずぅ~~と見ているとなんだかおかしい??
普通は新郎新婦の後を両家の親族が着いてゆくと思うのですが
若いカップルがずらずら連なっている・・・。
そうすると一緒にいた妻が、「これっってブライダルの模擬結婚式ちゃう?」といった。

まさにその通りだった!!
この住吉大社での結婚式を希望しているカップルがなんやらパンフレットを見ながら歩いていた!

だって本当の結婚式にしてはあまりにあっけらかんとしているので・・・。

帰って調べてみると・・・・・
こんなのがありました!!

c0145198_20542385.jpg



それにしても、たまたまの割にはいい瞬間にめぐり合いました!!
調べてみればこの日は仏滅!!
たしかに仏滅に結婚式はしないのでこんなブライダルフェアーがあったのですね!



by eos1d3 | 2014-03-10 18:58 | EOS5DMarkII | Comments(2)
住吉大社
c0145198_20244348.jpg




大阪にずっと住んでいながら住吉大社に来たのはきっと初めてだった。
住吉の方に用事が出来たので2時間ほど寄ってきました。

とにかくびっくりしたのが灯篭の多さである。
奈良の春日大社までは行かなくてもかなりの数である。
調べれば600以上あるそうです!!
一番古いもので1611年のものとありました。
灯篭は江戸時代のいろんな業種の組合みたいなのがお金を出し合って寄進したものが多いそうです。


c0145198_20285769.jpg


調べてみると住吉大社の歴史は西暦211年まで遡ります。
一体どれだけ前からあるねん!!と驚きました。

c0145198_2031104.jpg

c0145198_20303573.jpg


c0145198_20325268.jpg
c0145198_20325466.jpg



実はこの日、偶然にもいい経験が出来ました!!
それはまた明日にでもアップします!
by eos1d3 | 2014-03-09 20:35 | EOS5DMarkII | Comments(0)
大理石の階段
プリウォーの建築、とりわけ1925~1935年くらいまでの建築物の階段には
大理石がよく使われている。
この旧第四師団司令部庁舎も見ての通り大理石が使われた手すりである。

この頃の大阪は大大阪と呼ばれ東洋のマンチェスタと呼ばれるほどの輝きを放っていた。
しかも当時最高の建築家にこれまた当時最高の技術であった鉄骨鉄筋コンクリート工法で
洋風建築を造ることは権力を示すには十分すぎたのであろう。

c0145198_18403992.jpg



既になくなってしまった旧ダイビルの階段にも大理石が使われている。
c0145198_18565677.jpg



もちろん、大阪府庁庁舎も1926年竣工で階段周りは大理石である。

私が、1999年に仕事で行った旧大阪市交通局(旧大阪市電気局庁舎)の素晴らしさにはため息が出た。
階段周りやEV付近も全部大理石で、私は仕事そっちのけでその芸術作品に見入ってしまった。
惜しくも2004年に取り壊されましたが、あれは残っていれば完全に重要文化財になっていたと思う。


石なのにこの頃の建築には、職人の魂と温かさが染み入っているように思う。
私はいつも、手で触れてその温かさに当時の建築屋の情熱を感じるのである。
by eos1d3 | 2013-11-05 19:02 | 徒然に | Comments(0)
飛鳥大仏
昨日行った飛鳥寺の本堂の中には日本一古いとされている飛鳥大仏「銅造釈迦如来坐像」が
本尊となっている。その大仏であるが、例えば有名な奈良の大仏、鎌倉の大仏は共に国宝であるのに
それよりもずっと古い飛鳥大仏は国宝ではなく重要文化財のままであることに疑問を抱いた。


c0145198_18351794.jpg
いろいろ調べてみると、609年に造られた大仏は、その後、平安時代と鎌倉時代の大火事で
全身が羅災して、現在に残っている創設当時の大仏は顔の一部と右手の一部だけであると思われていた。
文化財になるには、いかに当初の状態をより良好な状態で保存されているかが大事なようで、
ほとんどの部分が後の補修によるものであれば国宝までにはならないと言うのである。

しかし、その補修された部分の記載が歴史的に見てもないことに疑問を抱いた、早稲田大学の
大橋教授がX線分析し従来の見解を覆す結果を発表したとある。

「早稲田大学文学学術院の大橋一章教授(文学部)らは、飛鳥時代に造立されたものの、
火事で損傷したために大部分が鎌倉時代や江戸時代に補修されたものとされている飛鳥寺
(奈良県明日香村)の本尊・飛鳥大仏(重要文化財)について、Ⅹ線分析調査を行いました。
その結果、造立当初の箇所(左鼻梁、右手第二指甲)と鎌倉時代以降に補修したとされる箇所
(鼻下、左襟、左膝上)の銅などの金属組成には際立った差異がみられず、仏身のほとんどが
飛鳥時代当初のままである可能性が高いことが判明しました。
大部分が後世の補修とされていることが、飛鳥大仏が国宝指定を受けていない理由であり、
これまでの見解を覆す大変重要な研究成果であるといえます。」


c0145198_18522435.jpg



もし、今後の先生の研究結果によっては、飛鳥大仏が国宝に指定される可能性があると言う事で、
なんとなく嬉しくなりました。

私の考えといたしましては、飛鳥時代に造られた大仏が、天災や人災にも遭いながらも尚、現在に
その雄姿を残していると言う事は、その時代時代の日本人の心が大仏を大事に思い、
その気持ちが大仏を修繕させてきた、その事実だけで、もう十分に国宝に値すると思います。
1404年間って、凄い長い時間です。
やっぱり、この大仏は日本人の宝物に違いないと私は思いました。
by eos1d3 | 2013-10-15 19:00 | 徒然に | Comments(2)
飛鳥寺
c0145198_1851501.jpg
c0145198_1852029.jpg



飛鳥寺は596年に創設された日本最初のお寺です。
伽藍配置も真ん中に塔があるごく初期の形式らしい。
残念ながら887年と1196年の火災によりその殆どが焼失してしまった。

しかし609年に推古天皇が造らせた同じく日本最古の銅製の仏像は今に残っている。
鎌倉時代の火災により黄金30キロが流れ、全身羅災された仏像はひび割れた。
後補を受けた仏像は今でもひび割れを見つけることが出来るが1404年を経た今でも、
一度もその場を動く事無くどっしりとそこにおられる。


c0145198_193065.jpg
c0145198_1925918.jpg



右から見ると厳しいお顔をされ、正面からみると微笑んででおられる。
1404年もの長い間、飛鳥人、奈良人、鎌倉人、室町人・・・・・明治、大正、昭和、現在と
一体どれだけの人を見て来たのだろうか?そう思うと、身震いした。

江戸時代の後期1826年に金堂が出来るまでは随分長い間雨ざらしであったのかもしれない。
しかし、仏様に手を合わせる我々のご先祖様によって大事に伝えられて来たに違いない。

c0145198_1984399.jpg



飛鳥寺を出て、散歩しているとコスモスが満開を迎えようとしていた。
しかしコスモスが日本にやってきたのは明治20年、130年ほど前のことである。
この飛鳥寺の今日までの1400年に渡る運命と比べれば、針の先ほどにも及ばない歴史である。
そんな事を考えながら、深くまほろばとは何か?と考えるのであった。
by eos1d3 | 2013-10-14 19:15 | EOS5DMarkII | Comments(0)
ダイビルへ
c0145198_17184614.jpg
c0145198_17192883.jpg
c0145198_17194553.jpg
c0145198_17201149.jpg
c0145198_17205093.jpg
c0145198_17211145.jpg
c0145198_17214853.jpg
c0145198_1722053.jpg
c0145198_1722687.jpg
c0145198_17224746.jpg




今日はいつもサーキットでお世話になっている初期型ブラックランダーさんが夏休みを利用して
中之島の美術館に遊びにくるということで久々にお会いしようと出かけました。
地図を見ると美術館とダイビルはほぼ隣同士ということで初期型さんが到着するまで
ダイビルを散策しました。1月にはまだ完成してなかったですが7月6日にグランドオープンし
その外観を撮影してきました。

内部も見たのですが、やはり撮影禁止と看板があり、管理事務所にも掛け合ったのですが
内部の撮影は営業部に許可を取ってから出ないと出来ないと今日は諦めました。

解体前のダイビルの内部はどうしても撮りたかったので正式な手続きで許可を取り撮影したのですが
今回は新築と言う事もあり建築的な価値はまだそれほどないと判断し撮影はしないことにしました。


それにしても、旧ダイビルの再現は素晴らしくこう言った再生法は今後もっと他の歴史的建造物で
生かされないかと思いました。大阪市内、中之島、御堂筋近辺にはまだまだプリウォー物件があります。
建て替えてしまってはその値打ちはもうなくなってしまうけれど、その雄姿は思い出すことは出来るでしょう。
by eos1d3 | 2013-08-14 17:37 | 徒然に | Comments(0)
なくなり往く橋  増島橋
c0145198_2045873.jpg




私の住む街には昔は多くの橋があった。
と言うのも今でこそ住宅地が開け田んぼはもう見ることが出来ないが、
昭和30年代(50年前くらい)には、一面が田園風景で何キロも離れた
隣の村々が見えたというのだからビックリする。

田んぼがあると言う事はそこに水をひく水路が必要で結局、橋が多くなるのである。

上の写真は東淀川区の菅原という場所であるが、ここも50年前まではたくさんの田んぼがあった。
そしてその水路だったところにかかっていた増島橋がその役目を終えても片方だけが残されている。
もちろんここに川が流れていたのは知らないが、昔の地図を見れば想像がつく。

c0145198_20561547.jpg


記録によると昭和10年6月に出来た橋らしい。
c0145198_20581726.jpg


もう風化破壊が激しく、おかげで構造が見えるがRC造のようである。
鉄筋は異形鉄筋ではなくコンクリートとの付着強度の少ない丸鋼鉄筋である。
しかしエラスタイト(コンクリートの伸縮による割れ防止材)が入っており、
実際に昭和10年にエラスタイトがあったのか?と不思議に思ったのである。
c0145198_2157572.jpg

c0145198_22113287.jpg



さて、この下に川がない橋であるが、車や人の通行に支障がないと言うことでずっと残されて
きたのであるが、すでに計画道路がすぐそこまで出来上がっており80年の生涯に終止符を
打とうとしているのであります。
c0145198_220106.jpg


写真は現在の航空写真で赤い線は元に川が流れていた跡(今は埋められて道になっています)
青い二重丸が橋の位置、その右にあるグレーの線は大阪府道で既に何十年も前に開通、
今回はその道と橋の左側にある新しい道(白い線)が開通する最終段階に入るのである。
実際は全てが開通するにはまだまだ時間がかかるであろうが、この橋の遺構はいつ解体されても
おかしくない状況におかれてゆくのは確かで、今回、撮影して残しておこうと思ったのである。


この地図は1926年(昭和2年)のものである。
橋の名前の由来の通り増島という大きな町が西にあり小増島が東にある。
昭和初期には亀岡街道があり橋が架かっているのがわかる。
c0145198_22202276.jpg


現在の航空地図と川の流れが違うのは戦後すぐの1948年(昭和23年)の航空写真を見ればわかる。
昭和4年に開通した片町線貨物支線の線路を敷くために川の流れを変えたのではないかと思う。
c0145198_22263766.jpg


さらにさかのぼる事62年、明治18年の地図はもっと素朴である。
江戸時代とほぼ変わらないこの地図では亀岡街道はもっと東にあり今の橋の位置には(青い二重丸)
道がないので当然橋もなかった。線路として見えているものは明治初頭に開通した官営鉄道である。
官営鉄道はその進路を北側に替えたのでこの線路は廃線となりそれを民間鉄道が引き継いだものが
今の阪急北千里線である。
官営鉄道の下を通り、中島大水道としてこのまま永遠9kmも流れて言ったのである。

c0145198_22345146.jpg


しかし、この明治時代のこの場所になんとか行けないものだろうか?
地図から見て、明治18年にこの橋の位置に立てば、西に字増島が見えてそれこそキレイな川が
流れていたと思う。四方を田んぼが囲み日本の原風景だったに違いない。

片方しか残っていない増島橋の遺構は私に留まる事がない想像を擁かせてくれる。
それももうあとどれだけの時間の猶予があるだろうか?
ここに大きな便利で新しい道が開通したとき、同時に江戸時代からずっと続いた、ここに
川が流れ、人々が暮らした証拠が一つ無くなってしまい瞬間でありそれは永遠に戻ることは無のだから。
by eos1d3 | 2013-06-10 07:00 | 徒然に | Comments(4)
空中写真閲覧サービス
国土地理院のHPの中に「空中写真閲覧サービス」なるものがある。


これを使えば自分の住んでるところの空中写真を見ることが出来る。
大阪で言えば古いもので戦後すぐの昭和24~5年くらいから10年ごとに現代まで。
あ~、そう言えばあの頃はこうだったなぁ~とか、実に懐かしい。

例えば新大阪駅の近くを見てみよう!
まず観覧サービスで見たいところを拡大してゆく。
c0145198_20132728.jpg



そうして新大阪駅周辺を選び出す。
ピンクの数字の部分やピンクの点を選ぶ。
それか左の表から見たい年代の写真を選ぶ。
c0145198_20135858.jpg



そうやって一番古い戦後直ぐの写真を見てみる。
もちろんモノクロですが米軍が写した写真ははっきりと60年前のそのままの姿を写している。
新大阪駅は当然まだないし、今では都市化しているこの辺りが当時はまだ田園風景広がる
田舎町だったことが想像できる。真ん中を流れる水路は江戸時代にこのあたりの村の人々が
掘った、「中島大水道」である。残念ながら新幹線の柱を絶てると同時に埋められて今はもうない。
c0145198_20192935.jpg


その中島大水道の右端の端部(写真のちょうど右上部分)には西淡路(国次)高射砲陣地跡が6基はっきり見える

今では5基解体されて1基しか残っていないが当時は空き地の真ん中にあったんだろう。



こうやって、このサイトを見ていると時間が経つのを忘れてしまう。
もう既になくなった懐かしい街並みを思い出すことが出来る。
在りし日の、住み慣れた街の風景を思い出しながらあの時の友達のことなど考えるのも時にはいいかもしれない。
by eos1d3 | 2013-06-07 20:25 | 徒然に | Comments(4)